10年に一度の船神事 松江ホーランエンヤ


ホーランエンヤは、
松江市中心部を流れる大橋川と
東出雲町の意宇川を舞台に、
10年に一度行われる船神事で、
正式には、
「松江城山稲荷神社式年神幸祭」
と言います。

広島県・宮島の管絃祭、
大阪天満宮の天神祭とともに
日本三大船神事に挙げられます。

松江松平初代藩主・松平直政が
松江に入府して10年目の
慶安元年(1648年)、
出雲国は大凶作の危機に見舞われました。
この危機を重く見た直政は、
城山稲荷神社の神職を兼務していた、
阿太加夜神社(あたがやじんじゃ)の
神主のもとへ城山稲荷神社の
御神霊をお運びし、
出雲国の豊作を祈らせました。

これがホーランエンヤの始まりです。

神輿船の引き船を務める、
櫂伝馬船(かいでんません)
と呼ばれる船の櫂を操る際の音頭取りと
櫂かき(こぎ手)が
調子を合わせるために唄った、
掛け合いの言葉が
ホーランエンヤの名前の由来と
されています。

櫂伝馬船は「五大地」といわれる
馬潟、矢田、大井、福富、大海崎の
五地区から繰り出され、
船上で、櫂を操り勇壮に踊る
「剣櫂」(けんがい)や
鮮やかな布をつけた棒を振って踊る
女形役者「采振り」(ざいふり)といった
櫂伝馬踊りを奉納します。

9日間執り行われるホーランエンヤには、
大きく分けて3つの祭事があります。

初日には、城山稲荷神社から
大橋川と意宇川を通って、
阿太加夜神社まで神輿船で御神霊を遷す
「渡御祭」(とぎょさい)が行われます。

城山稲荷神社から御神霊を陸行列で
松江大橋北詰の桟橋へお運びし、
神輿船に移して阿太加夜神社まで
お運びします。

五大地の櫂伝馬船がそれぞれの櫂伝馬踊りを
披露しながら、
宍道湖大橋~松江大橋間を2週、
松江大橋~新大橋間を3周、
新大橋~くにびき大橋間を2周します。

そして阿太加夜神社へ向かい、
到着地の意宇川で再び櫂伝馬踊りを奉納し、
御神霊は阿太加夜神社に安置され、
7日間にわたる大祈祷が行われます。


7日間にわたる大祈祷の中日には、
意宇川から阿太加夜神社の周辺で
中日祭(ちゅうにちさい)が開かれます。

出雲郷橋周辺の意宇川で
五大地の櫂伝馬船が櫂伝馬踊りを披露し、
その後、踊り手たちは、
車輪のついた長さ約10m、幅2.5mの
陸船に乗り換え、
櫂伝馬踊りを披露しながら行列を作って、
阿太加夜神社を目指します。

櫂かきは陸船の引き手となり、
五大地の先導役は、
「おたふく」や「ひょっとこ」の
面を着けて陸路を進みます。

道路を通る陸船は、
川沿いで見る櫂伝馬船よりも
近くで観覧することができるので、
迫力のある唄や踊りを楽しめます。


10年に一度の祭典もいよいよフィナーレ。
最終日の還御祭(かんぎょさい)で、
阿太加夜神社に安置されていた御神霊が
渡御祭とは逆の経路をたどって
お帰りになります。

五大地の櫂伝馬船は、
再び意宇川と大橋川で
櫂伝馬踊りを奉納し、
松江大橋北詰の桟橋から陸行列で
御神霊を城山稲荷神社へお運びします。

 


五大地紹介

松江市の大橋川周辺にある、
櫂伝馬船を繰り出す五大地を紹介します。

五番船 大海崎(おおみさき)


馬潟の漁師が神輿船を助けた
文化5年(1808年)のホーランエンヤから
40年後に参加した大海崎。

五大地で最後に加わったため、
後方に位置する神輿船から最も離れた
五番船となり、先頭船の旗を掲げ、
祭りの先陣を切ります。
大海崎の踊り手・剣櫂は、
黒を基調とした衣装が特徴で、
赤や青色などの鮮やかな
他の五大地の衣装とは異なり、
デザインを変えずに伝統を
守り続けています。

かつらや衣装がにていることから、
歌舞伎の登場人物「児雷也」(じらいや)が
モデルとされています。

四番船 福富(ふくとみ)


五大地の四番船を務める福富。
福富は今年のホーランエンヤでは、
黒色の船で参加しました。

ホーランエンヤは昭和33年(1958年)
までは堀川で船行列が行われていました。
黒色の船体ではその年以来の参加です。
同年以降は大橋川に舞台を移し、
船は大型化し、
装飾も華やかになっていったそうです。

かつてこの地区には運搬船がなく、
ほかの地区から船を譲り受けて
参加しており、
古い船を浸水から守るために、
船体を黒色でコーティングしていました。
「原点回帰」がテーマの今回は、
黒い船体に合わせて
櫂や柱の色も白黒に統一されています。

三番船 大井(おおい)


三番船の大井は、「櫂さばき」が
バラエティ豊かです。

歌声を合図に櫂かきが一斉に体を後方に
反らす、「寝櫂」(ねがい)、
船べりから櫂を外し、水中に突き刺す
「掉さし」(さおさし)や
水上で素早く切り返す
「早櫂」(はやがい)など、
他の五大地にはない、独特な
「櫂さばき」を見ることができます。

二番船 矢田(やだ)


文政元年(1818年)から
ホーランエンヤに参加した二番船の矢田は、
現在も受け継がれてきた伝統の唄
「矢田の唄」が水上に響き渡ります。

ホーランエンヤでは「唄」の
出来栄えが重要で、
船を進める櫂かきの一体感や
剣櫂と采振りの踊りの調子を左右します。

風が吹く不安定な船上で、
櫂をこぎながら歌う「矢田の唄」は、
迫力満点です。

一番船 馬潟(まかた)


最後に紹介するのは、一番船の馬潟です。

文化5年(1808年)松江城山稲荷神社の
御神霊を乗せた神輿船が
阿太加夜神社に向かっていたところ、
嵐に巻き込まれ、馬潟の沖合で
危険な状態に。
近くの漁師が「いの一番」に駆け付けて
難を救いました。

この功績を称え、馬潟だけには特別に、
高貴な紫ののぼりを掲げることが
許されています。
船に記されている「い一」(いのいち)の
文字がこの歴史を物語っています。

剣櫂や采振り、お囃子の太鼓、
そして櫂伝馬踊りといった
ホーランエンヤの歴史は、
この馬潟の功績から生まれました。


馬潟には、神輿船を櫂伝馬船に繋いで
お運びし、接岸させる
重要な役目があります。

全長15mの櫂伝馬船を操舵して、
無事に岸に着けるところは見どころです。

松江市民だけではなく、
全国の皆さんが注目するホーランエンヤ、
次回は10年後の2029年5月に
開催予定です。


2019年05月27日